こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。
子どもたちが夏休みに入りましたね。
わたしの中学2年の娘は、夏休みがくるのを心待ちにしていました。初日は早速近くの松林に出掛けて、今夢中になっている野鳥観察を楽しみました。といっても、お目当ての鳥はいなかったのですが、自然の中をてくてく歩くのは気持ちのいいものです。
終業式の日の夜、持ち帰ってきた通信簿を一緒に見ましたが、娘がこの評価をどんなふうに受け止めているかということに注目して、娘の気持ちに共感して話を聴きました。
「先生がちゃんと気づいてくれてたってことが嬉しいんだよね」
「この教科の評価は、悔しいの? どうしてそう思うの?」
「それについては自分でも納得ってことね」
評価の数字に一喜一憂せず。。。と言いたいところですが、数字はパッと見てわかりやすいので、わたしも思わず「お!」とか「あら?」という心の声が漏れてしまった瞬間がありました(苦笑) まだまだ未熟です。
娘の関心に関心をもって話に耳を傾け、どんな思いで勉強や部活や委員会活動をしているのかを知るのは、とても楽しい時間でした。
そんな中、娘から一つ「お願い」がありました。
「次の英検に挑戦したいので、英語の塾に行きたい」
アドラー心理学では勉強するのは子どもの課題であり、そこに親は踏み込まない、というのがあります。
「課題の分離」というものです。
ここだけを切り取ってみれば、単なる放任のような冷たい考え方のように感じるかもしれませんが、アドラー心理学を学んでいる人にとっては、この「課題の分離」がゴールでなく、むしろ「スタート」であることは、お分かりいただけるかと思います。
わたしは普段、娘に「勉強しなさい」とか「宿題終わったの?」など勉強に関することは一切言わない代わりに、親としての考えは中学校入学時から伝えてきました。
(以下はあくまでわたしの考えです。家庭の状況や勉強に対する価値観などで違って当然ですし、正解はありません)
・学校の授業を大事にしてほしいこと
・わからないところがあったら、先生や友だちに質問して解決してほしいこと
・もし、授業に全然ついていけなかったり、逆にもっと学びたいことがあったりしたら、いつでも塾などの方法を取れるから、その時は相談してほしいこと
勉強はあなたの課題だから基本的にはあなたに任せるけれど、もしあなたが必要ならば、いつでも協力しますよ、というメッセージです。
テストの結果が良かったら「頑張っていたから点数に出てきたんだね」「嬉しそうだね」芳しくなかったら「次も応援しているよ」「問題集とか必要があったら言ってね」などなど。
褒めず、叱らず、いつも丸ごとそのまま結果を受け入れて、とにかく、いつも上記のメッセージを発し続けてきました。
中学入学から1年と4か月。見守り続け、メッセージを発し続ける。アドラー心理学を実践するとはなんと気の長い話かと思われるかもしれませんが、これが我が家の実践の現実です。
娘は今のところ英語が比較的得意のようですが、授業だけではハイレベルの英検合格はなかなか難しいことを聞きつけたことと、1学期に学校で行われた英検のレベルチェックテストの結果と、通信簿の自分の英語に対する評定を見て、英検に挑戦してみたい、英検に合格することで最高評価がほしい、と思ったようです。自発的に言い出したことをわたしはとても嬉しく思っています。
英検合格、最高評価、そしてその先は?という話もしてみましたが、今のところは、それが目下の目標。今はそれでいいと思っています。やっていくうちに、新しい目標が娘の中に出てきたときは、また話をしてくれることと思います。これも「子どもの力を信じて待つ」ということ。こちらの待つ力が問われますね。
ちなみに苦手な教科は数学。わからないときは今のところ友達に聞いて解決しているから大丈夫、数学の塾には行きたくないとのことでした。これ以上は踏み込みません。
また塾の曜日や時間帯、送迎、夕ご飯の準備などについては、同居の母と話し合うことになりました。
過度の自己犠牲をすることなく、どこまで協力できるかについて落としどころを決める。
本当に日々、アドラーは実践だなぁと感じています。
一瞬で変われる特別な魔法のような勇気づけの言葉や100%うまくいくという実践法が存在しているわけではなく、アドラー心理学は日々の心がけの基本になる態度や考え方などの在り方の指針であり、そしてそれらは、日々継続して実践し、自分自身が結果を体験することで初めて身につくことばかりです。
「課題の分離」「共同の課題」「他者貢献」「自己犠牲しないこと」「信じて見守る」「共感」・・・本で読むだけ、言葉を覚えただけ、頭で理解しただけでは、残念ながら実践していることにはなりません。わたしも不完全ながら少しずつ前進しているような気分です。
そしてもう一つ付け加えたいのは、「いつからでも遅くない」ということ。子どもとはいえ、そこには「親と子の人間関係」があるだけ。「親子の問題」も「人間関係の問題」なのです。
日曜日の能代のアドラー心理学実践講座では、毎回受講者さんからの嬉しい実践報告があります。
前回、受講者さんが遠くにいる成人した娘さんとのやり取りについて悩んでいたところ、ちょうど「課題の分離」の学びがあり、娘さんの課題に踏み込んでいたのかもしれないと気づいてから、良好なやり取りが再開したという報告がありました。(詳細は書けません、ご了承ください)
次回は、わたしも娘の塾の話を紹介しようと思っています。
コロナ禍の折、いつも通りいかないところはあるでしょうけれど、どうぞみなさま、よい夏をお過ごしください。