大人の役割

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

2020年の新しい活動として、能代市内のフリースクール・フレスクで、不登校の子どもたちと関わるようになって半年が過ぎ

月2回、ボーリング教室やボクササイズ教室、食育教室などの時間を一緒に過ごしながら、子どもたちとコミュニケーションを取ってきました。

(こちらはボクササイズ教室。タオルや毛糸を使ってなんでもエクササイズにしちゃう先生の元でわたしも一緒に挑戦中の一コマ)

この子の好きなことや得意なことって何だろう?とか

この子にとって、ちょうどいい距離感はどのくらいかな?と図りながら接してきたのは

ただただ「目の前にいるその子といい人間関係をつくりたい」という願いから。

以前働いていた学校のように毎日顔を合わせるわけではありませんので、じっくりと時間をかけて少しずつ作っていく関係です。

学校と家庭。多くの子どもたちにとって、大事な居場所。

アドラー心理学の観点から考えて理想的なのは

学校にも家庭にも、自分の居場所があって、自分の役割があること。

不登校の子どもたちにとってのフリースクールも、もちろん同じだとわたしは考えています。

単に学校の代わりに勉強したり遊んだりする場所ではありません。

では、子どもたちが得意なことを発揮しながら居心地がいいなと感じられるように、わたしたち大人は何をすべきか。

それは、きっかけや出番を上手に作ってあげることだと思っています。

これは家庭での親の役割でもあると思いますが、子どもですので、できることは限られますし年齢によってもできることに違いはありますが「わたしも一員として役に立てている」という貢献感や

これができたからOKというような条件をつけずに「わたしはわたしのままで、ここにいていいんだ」という安心感を

子どもがちゃんと感じられるような場を学校でも家庭でも上手に作ってあげることが、そこにいる大人の役割だと思います。

貢献感や安心感・・・これって、大人も同じですね。

職場に「貢献感」や「安心感」を感じることができなかったら、誰だって仕事をやめたくなってしまいます。

「自分のやってる仕事が一体なんのためになるんだろう」「同僚の目が怖い」などと感じ始めたら

毎日辛くて仕事に行きたくなくなってしまいそうです。

「貢献感」「安心感」があって初めて「これに挑戦してみよう」「次もがんばろう」と思えるのです。

それがないのに、やみくもに「がんばれ」と言われることほど辛いことはありません。

そんな状態をアドラー心理学では「勇気が足りていない」といいます。

「勇気」とは、困難を克服する活力。

勇気が足りてないなぁ、という方、もしかたらアドラー心理学があなたのお役にたてるかもしれません。

以下、フレスク『勇気づけカフェ』での様子をご紹介。

先日、ボクササイズが終わった後のティータイム中、たまたまあった予定表の裏に小1女子ちゃんと一緒に描いた小さな落書きに模様をつけたり、眉毛を描き足したりして

最終的にこんなキャラクターができあがったのですが

ゴールに向かって、走っていくたくさんの星虫(☆の形をしていてその子が名前をつけてくれました)さんたち

仲間の星虫さんたちに吹き出しをつけて、「なんて言ってるか想像で書いてみよう」と遊んでいたら

「がんばれ!」「あと少し!」「いけるぞ!」「もうすぐゴールだ」

前向きなメッセージが小1女子ちゃんの口からたくさんでてきました。

同年代の子どもたちと接する機会がどうしても少なくなりがちですので、イラストの吹き出しを利用して、疑似体験・・・というほど大がかりなものではありませんが

仲間を応援する気持ち、自分で自分を励ますような勇気づけのメッセージのように感じたので

「友だちを応援する言葉をたくさん知っているんだね」と伝えたら、嬉しそうににっこり笑ってくれました。

「わたしは友達を応援することができる」という気持ちが、彼女の勇気のコップを少しでも満たしていきますように。

得意なことというのは何も特別な才能である必要はありません。何気なく描いて遊んでいたら出てきた言葉や、一緒にイスを移動させてくれるちょっとした行動に気づいて、それを相手に伝えてみることからはじめてみませんか?

それはきっと勇気づけの第一歩です。

不登校の子どもたち

こんにちは、秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

コロナが至るところに多大なる影響を与えていますね。

わたしは今年度初めて、月2回、能代市のフリースクール「フレスク」にて、不登校の子どもたちと関わる機会をいただきました。

全国的に休校中の今、能代市内の小中学校再開のタイミングで、この活動もスタートということになりますので、今は足踏み状態です。こんなところにも影響が及んでいます。

さて、不登校の子どもたちと関わる・・・20年以上前のことですが、一つ思い出したことがあります。

教員志望で入学した大学の夏休み、不登校の子どもたちを集めた3泊くらいのキャンプに、所属していた心理学研究室の仲間でボランティアに行ったことがありました。

当時わたしは大学入学したての18歳。子どもたちは小学校3年生から中学校3年生までが参加していたと記憶しています。

子どもたちとは年齢が近いこともあって、一緒に遊びながらたくさんの話をして過ごしました。

子どもたちはとっても元気で、それでいて繊細で傷つきやすくて、大学生が最初に触れる子どもたちとしては、充分すぎるほどのたくさんの子どもらしさをぶつけてきてくれたことを覚えています。

たった数日間で子どもたちに何か劇的な変化があったわけではありませんでしたが、わたしの中にはふつふつと何とも言えない不安が湧き上がってきました。

子どもたちは不登校で悩んでいる。少しでも力になりたいという思いから解決策を教えてあげたいけど、その答えがわからない。

こんな自分が関わっていいのかな?一体何が教えられるのだろう?そもそもこんな自分が先生になって大丈夫なんだろうか? 

今思えば、18歳なんてまだまだヒヨッコ。不登校の解決策なんてわかるはずもありませんが、当時のわたしはすっかり悩んでしまいました。

このキャンプが直接的なきっかけになった訳ではありませんが、思うところあって教員採用試験は受けず、それから約20数年、様々な企業やら、外国人の子どもたちの日本語支援など、たくさんの社会人経験をする中でアドラー心理学に出会い、日々アドラー心理学の学びを続け、実践をしようとしているところに、このお話をいただいたのです。

今なら、わたしにできることがあると思っています。

あの当時悩んだ「解決策を教えてあげたいのに、答えがわからない」

上から目線で教えることなんて、しなくてよかったんだ、とアドラー心理学を学んだ今なら、思えます。

子どもたちを勇気づけられるようなアドラー心理学的な関わりをしながら、解決の道筋をいっしょに探していこう、というスタンスでいます。

わたしは20年経って、あの日の子どもたちにもう一度会えるような気持ちでいっぱいなのです。

どうか、子どもたちが学校に行かない・行けない自分を責めることなく、あなたを丸ごと受け入れる場があるということを知ってほしいと思います。

能代公園で野良ネコちゃんをパチリ

黒猫は、西洋の文化が入ってくる前の昔の日本では『病気が治る』とも言われていたようです。

早くコロナが終息することを祈るばかりです。