感情とは?

みなさん、こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会・勇気づけリーダーの坂本明子です。

陰性感情。

勇気づけELM講座・第4章で取り上げるものです。

感情には、良い悪いの区別なく「陽性感情」と「陰性感情」とがありますが、なんとも不快な陰性感情。

悲しみ、さびしさ、怒り、不安、悔しさ・・・・・

久々にわたしは、陰性感情に支配されそうになる出来事がありました。

アドラー心理学では、行動にも感情にも「目的」があると考えますが、そのときのわたしはその目的を考える余裕もなく、 陰性感情でいっぱいになってしまったのです。

もしアドラー心理学を学んでいなければ、これをきっかけに落ち込んだり、八つ当たりをしたかもしれません。もしかしたら、自己嫌悪に陥っていたかもしれませんし、この出来事の当人を責めていたかもしれません。

おそらくこれまでのわたしのパターンとしては、頭から離れない間は「イライラ」。時間が経てば、ある程度おさまるものの、何かのきっかけで思い出しては、また陰性感情に支配される・・・の繰り返しパターンだったかと思われます。

すんでのところで立ち止まって冷静になり、この陰性感情の目的は何だろう?わたしは一体、何のためにこの陰性感情を使っているんだろう?と、自分の心の内を見つめ直す時間をもつことができました。

答えはすぐに出てこなくても、もうそれだけで、事態をこれまでとは違った方向に切り替えられたことに、自分で自分を頼もしく感じました。

そして、わたしの陰性感情の目的をよくよく考えてみたところ・・・・

うっすら、ぼんやり、見えてきました。

見えてきたのは、自分のとある過去の出来事を「自分のせいじゃなかった」「自分は悪くなかった」と自分をかばいたくて、この感情を使っていたんじゃないかなぁ・・・・

そう思えた時、陰性感情はもうほとんどなくなっていました。

この先、また何かのきっかけで陰性感情を感じたとしても、またこうやって解決できるんじゃないかなぁと、今は肩ひじ張らずに少し気楽に構えていられます。

感情は、パートナー。

感情に振り回されたり、支配されたりするのではなく、自分の本当の思いは何か、それに気づかせてくれる大事な大事なパートナーです。

陽射しがいよいよ春めいてきましたね。

草木や花々の息吹を感じる季節がやってきます。

意識的に習慣を変えてみる

みなさん、こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会・勇気づけリーダーの坂本明子です。

アドラー心理学は【どんな心理学よりも平易な言葉で書かれているが、どんな心理学よりも実践が難しい】とも言われています。

わたしたちには思考や行動のクセがあって、いざ変えようと思っても、ついつい以前のライフスタイル(知りたい方はぜひ講座へ♪)に戻ってしまいがちです。なぜか?理由は簡単、変えない方が楽だからです。

先日「ついつい以前と同じ行動をしそうだったけれど、意識的に行動を変えることができた」瞬間があったので紹介します。

職場で「研修に行きませんか?いい勉強になると思います。ただ、お休みの日だから無理にとは言えないけれど・・・」と声をかけられました。

以前のわたしなら

・お休みの日とは言え、これもわたしの仕事のうち。行った方がいいだろう。

・声がかかったということは、参加して仕事に活かすことを求められているのでは?

・今は予定が入っているわけではないから、断る理由がない。

・断って、やる気がないと思われたら嫌。

などと考えて、参加していたと思います。

その後に自分のプライベートな予定が入ったとしても、「一旦受けてしまったからには断れない」と、後ろ髪を引かれながらも研修に参加するタイプなのです。

おそらくそれで得られたものも、これまでたくさんあったことでしょう。「せっかく参加するのだから、しっかり学んでたくさん持ち帰ろう」という優等生根性を発揮するタイプでもあります。

「今回もやっぱり参加した方がいいかなぁ・・・」と悩み出して、「そういえば、わたしはコントローラー(ライフスタイルの1つの呼び名で自己抑制タイプ)だった!」と、はたと気がつきました。こんなときの行動に、ライフスタイルが如実に表れるものなのです。

こんなとき、というのは、人が社会の中で「どうやってこの問題を解決しようか」というときです。

わたしたちは、人と人とのつながりの中で生きています。

そのつながりの中で「このように行動した方がうまくいくだろう」と立ち回り、「ほら、やっぱりこれでうまくいった」とさらにその思いを強くし、思考や行動のクセ(ライフスタイル)を長い時間をかけて完成させ、そのライフスタイルをついつい使い続けているのです。

これまでのわたしは、「スキルアップのため」という目的だけでなく「やる気のある人」と思われたいというあざとい目的のため(笑)そこに ほんの少しの自己犠牲を払うことで職場の居場所を見つけ出してきたんだろうなと思いました。そうすることで上司との人間関係もより良好になるだろう、とも考えていたように思います。

わたしは、この研修をお断りしてみることにしました。

職場には「今回は欠席させてください」とだけ伝えました。理由を聞かれたら「お休みの日は家族と過ごすことにしています」と答えるつもりでしたが、理由は特に聞かれず、「あ、そう。はい、わかりました」と、あっさりした返答が返ってきて、やや拍子抜けした感じです。

あまり乗り気ではない研修への参加を断る・・・大げさかもしれませんが、わたしにとっては大きな変化であり収穫でした。

頼まれごとを断れなくて悩んでいたわけではありませんでしたが、いつもと違う行動を意識的にやってみたことで「決定権は自分にあること」や「課題を分けること」「人の行動や感情には目的があること」などのアドラー理論と今の自分を客観視して照らし合わせることができ、納得のいく形で理論を落とし込むことができました。

もちろん、「研修に参加しなかったことで情報を得られなかった責任を負うこと」も忘れていません。でも、もし今後困ったことがあったら、そのとき調べるなり人に質問するなりして、そのときできる範囲で解決すればいい、と思えました。「自分がなんとかしなくてはいけない」と気負うのではなく、「きっと職場で協力すれば解決できるはず」と、周りを信じることでこの問題を手放すことができました。

さらに「やる気のある人」かどうかを判断するのは、相手の課題であり、日々の仕事に真摯に取り組むことでわたしの最低限の仕事の課題は果たされているのではないかと気づいたことも、これからも仕事を続けていく上でとても有益でした。

日々の行動の一つ一つが、アドラー心理学の実践。勇気を出していつもと違う行動をしてみたら、いつもと違った思考をしている自分がいました。

人は変われる。性格は変えられる。ただし、その人が変わりたいと心から思っている限り。

さて、お雛様まであと1週間ほどでしょうか。

子どもの頃は、どうしてこの男の人は靴をもって泣いているだろう?と不思議でたまりませんでしたが、大人になり子どもと一緒にお雛様の絵本を読んでようやくその意味を知り、驚きました。

いろんな表情の人形は、人生の喜怒哀楽を表現しているのだそうです。

悲しみや苦しみも人それぞれあることでしょう。でもその出来事にどんな意味づけをするかは、その人によって違うものです。

人生に意味はない。あなたが人生に意味を与えるのだ。byアルフレッド・アドラー

褒める?褒めない?

みなさん、こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会・勇気づけリーダーの坂本明子です。

中1の娘が学校で描いた水彩画が展示されると聞いて、能代から秋田市役所の展示ホールまで見に行ってきました。

娘の通っている中学校の中で選ばれたいくつかの作品が送られ、全県から集まった作品の中でも、娘の描いた絵は入賞したとのことで展示されているようです。

こんな出来事があったとき、みなさんはお子さんに何と声をかけますか?

すごい!

さすが!

すばらしい!

次は最優秀賞狙えるんじゃない!

あなたならできると思ってた!

子どもは褒めて伸ばそう!なんていう子育て論もよく聞く昨今ですが、アドラー心理学を学んで以来、わたしはこのような褒め言葉を使わなくなりました。

では、どんな言葉をかけるのか?

今回でいえば、どんな気持ちでそれを描いて、どんなこだわりや工夫があったのか、あなたの言葉でぜひ教えて!というように、娘の話す内容に完全に興味が移った、ということになるのかもしれません。結果に注目して(今回で言えば入賞という結果)そのこと自体を褒める、ということは、ほとんどなくなりました。

単純に娘が普段どんなことを思っているのか、何を大事に過ごしているのかを知ることの方がずっとずっと楽しく、そして、その方が娘との関係がとてもイイ感じ(軽い表現かもしれませんが、まさにこれ!)なのです。もしかしたら、わたしが発するのは、ちょっとした質問や相づちだけかもしれません。

この知らせをもって帰ってきたときも「えっ!?入賞?どんな気持ち?」とまずは聞きました。すると「嬉しいけど、ちょっと悔しいかな」と言ったので、「嬉しいのはわかるけど、どうして悔しいの?」と。こうやって考えると、結果だけに注目して褒めるって、とても一方的な関係です。

アドラー心理学でいう「共感」とは、相手の目で見て、相手の耳で聞いて、相手の心で感じること。

そして、「わたしはいつもあなたの仲間である」という「横から目線」

アドラー心理学を学ぶと、上記のすごい!さすが!・・・・は、かなりの「上から目線」に聞こえてくるから不思議なものです。

こうやって、子どもの話をじっくり聴くと、その子らしさがわかるポイントや、成長が感じられるポイントがたくさんあることに気づかされます。そしてその「あなたらしさ」がわたしは大好きなんだと、いつも伝えています。

結果ではなく、過程に注目、というより、もう過程にしか興味がないといってもいいくらい。

また話を聴いていくと、一番こだわったところは、なんとタイトルだという娘。

どんなタイトルなの?それってどういう意味?と、会話が続きますが、娘は決しておしゃべりなタイプではありません。普段の会話で、今学校でこんな絵を描いているんだ、というような話は一切ありませんでした。おしゃべりな子なら、こういうのちょくちょく話すのかなぁ?

思えば、保育園から小学校中学年のころまで、学校でのことはこちらから質問しても、ほとんど話さない子どもでした。自己完結型なんだろうなーと当時は思っていましたが、わたしが聴き上手ではなかったんだろうなと、今は反省しきりです。

また、美術の先生が「画用紙の白いところを無くすように、木の周りの白いところも塗ったほうがいい」とアドバイスをくれたようですが、娘は「はーい♡」と調子よく返事をして、忘れたふりをしてそのまま提出したとのこと( ̄▽ ̄)

白いところが自分のこだわりポイントだったから塗りたくなかった、でも先生とやりあうのは面倒だったと。もしもアドバイス通り塗ってたら吉と出ただろうか、それとも凶と出ただろうか・・・・ということに話題が及んだものの「そうまでしても、そこは塗りたくなかったとは、よっぽどのこだわりだったのね」と、あくまでも娘の気持ちに寄り添って最後まで話を聴きくことに徹します。先生のアドバイスに従わなかったことについての良し悪しのジャッジもしません

思春期といわれる年齢ですが、小学生の頃よりも会話が増えているような気がします。わたしの話の聴き方が変わったからかなぁと思いますが、どうでしょう。

子育てにおいて、子どもを褒めるのか、いや褒めてはいけないのか、それともメリハリをつけて褒めたり叱ったりした方がいいのか。正直な話、そこが問題ではないといつも感じます。

失敗したときだって、悔しいときだって、一般的に悪いといわれるような行為をしたときだって、つまり、どんなときだって、ただ寄り添って話を聴いてあげられる仲間。友達感覚という意味ではなく、「対等な関係」でいたいといつも思っています。

それがアドラー心理学の「勇気づけ」の基本となる心のあり方かなぁ。

ちなみに、そばでわたしと娘のやり取りを聞いていたわたしの母(娘にとっては祖母)は、手放しで「〇〇ちゃんはすごいねぇ、エライねぇ」と褒め言葉を連発しておりました(笑)

子どもにとっては、いろんな関係性を学べるいい機会なので、祖父母らからの褒め殺しは、アリ!とわたしは思っています(^_-)-☆

娘の絵はこちら。遠足で行った十二湖の青池。

こだわりの白いところは、木の幹のあたりのこのへんだとか、これは先生が撮影した写真を元にしたけど色はほとんど好きなように塗ったんだ、などの裏話を聴きながら鑑賞するのもとても楽しい時間でした。

そして気になるタイトルは「青池は青いらしい」

これでも青いっていうの?とちょっとケンカ腰にも聞こえないこともないですが、わたしはこのシュールなタイトル、うん、娘らしくて大好きです!

明日から新学期が始まりますね。学校が、すべての子どもたちが伸び伸び自分らしさを発揮しながら、仲間と成長しあえる場所であることを願います。

新年にあたり

あけましておめでとうございます。秋田アドラー心理学勉強会・勇気づけリーダーの坂本明子です。

2019年9月に勇気づけELM講座やカルチャースクールでの講座を終了して以来ここ数カ月は対外的な活動をしておりませんでしたが、ちょっと間があいたことで、昨年の会の活動や自分自身を振り返ったり、今後の活動についてアイディアを練るいい時間がもてました。

そして今、新しい年を迎え、手もちのアドラー心理学に関する本を読み返しております。

買い集めたアドラー本が70冊ほどあるのですが、まずはベストセラー「嫌われる勇気」を手に取りました。

まだ半分ほどですが、改めていい言葉だなぁと思うところや、はっと気づかされる部分などにフセンをつけながら、じっくり読み進めております。その中で

「今の自分よりも前に進もうとすることにこそ価値がある」

誰かと比較したり競争したりするのではなく、あくまで「理想の自分」の姿に向かって、ただ前を向いて歩くこと。

アドラー心理学の大事なキーワードである「劣等感」にも関連する言葉です。

この年の初めに大きな目標を掲げた方もいらっしゃることでしょう。

その「なりたい自分」に向かって、ただ前を向いて歩くことだとアドラーは言います。でも「わたしのなりたい自分」って、どんな自分だろう?

まだまだ迷うときもあるけれど、それが自分なんだろうなとも。

「不完全な自分を認める勇気」・・・この言葉がでてくるのは、どのページだったかな?違う本だっけ・・・そんなふうに自分のペースで読み進めておりました。

また、我が家の正月の恒例行事である書き初めで、元旦に引いたおみくじの内容に絡めて今年の抱負を書き記しました。

家族の了解をとってない上に気恥ずかしいので、判別不能なくらいにボカします( *´艸`)

「心を磨き輝かそう」最近のお気に入りのフレーズを書き初めにも入れました。

アドラー心理学を実践していく、ということにも通じるのですが、学んだだけ、本を読んだだけ、で終わらせず、心を錆びつかせずに、磨き、輝かせるために、楽しみながら過ごしていきたいと思っています。

お目汚し失礼しました。

お詫びと言ってはなんですが 、海から昇る朝日を見たくて、年末に太平洋側へ出かけて撮影しました。

海に沈む夕陽に見慣れた私は海から昇る朝日が見たかったのですが、残念ながら海上には雲。それでも、その雲の端を金色に輝かせながら太陽が顔を見せてくれた時には、その力強さと神々しさに圧倒されつつも、2019年のリフレッシュと2020年のパワーチャージができたような気がしました。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

親友がもう一人

みなさん、こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会・勇気づけリーダーの坂本明子です。

能代の勇気づけELM講座では、前回の開催時にこの章だけ欠席だったので・・・と、久々に参加された方がお二人見えてました。

「元気そうで!」「あいかわらず夏みたいに、さわやかですね~!」と再会を喜び合う姿を拝見して、このアドラーゆるカフェという場で、人と人が穏やかにつながっていくことをとても嬉しく感じました。

今日から参加という新しいお仲間もいらっしゃったので、「勇気づけELM講座を受講されて、ご自身がどんなふうに変化したか、お話していただいてもいいですか?」とお二人に質問したところ

「自分が一番の親友という感覚がもてている」

「自分を見ているもう一人の自分がいるようだ。人の話をよく聴くようになって、主人との関係がとてもよくなった」

と、お話してくださいました。

これから学ぶ方にとっては、勇気づけ講座を学ぶと、どんなことが起こるのか、どんな変化が待っているのか、という大きな期待感につながる素敵なご感想でした。

【自分で自分を勇気づける感覚】って、こんな感じかもしれませんね。

自分が落ち込んだとき、自分の味方になって話を聴いてくれる親友

誰かに話したくてたまらない出来事があったときに、一緒に笑って喜んでくれる親友

心の奥底を打ち明けられる信頼のおける親友

そんなかけがえのない親友がもう一人、自分の中にいるって、なんて心強い♪

実際に勇気づけ講座を受けてくださった方々の言葉だけに、実感がこもっているなぁと感じました。

わたし自身のアドラー心理学との出会いは、何か悩んでいるとか、問題があったとか、のっぴきならない事情があって、というわけではありませんでした。

できるだけ前向きに生きてきたつもりだったし、さまざまなことをわたしなりに乗り越えてきたつもりでした。

確かにこれまでの人生でいくつかの困難がありました。

でも、アドラー心理学は、大きな試練を乗り越えるためだけのものではなかったのです。

日々の人間関係、自分との向き合い方、過去の捉え方・・・。

ささいなことも、人生の一大事も、自分の軸となるものがあれば、いたってシンプルに乗りこえられます。

指標となる考え方を手にいれられたら、取り巻く世界は大きく変わって見えました。

自分で自分を勇気づける方法を学んでみませんか?

自分で自分の勇気をくじいていませんか?

自分のことを勇気づけられる人は、他者を勇気づけることができます。

自分のことを勇気づけられない人は、他者を勇気づけることはできません。

心の勇気のコップを、勇気でいっぱいにして、生きていこう♪

アドラーさんは、【みんなのための心理学だ】と言っています。

一緒に学んでみませんか?

朝、子どもを起こすこと

みなさん、こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会・勇気づけリーダーの坂本明子です。

4月から娘が中学生になりました。

中学生になるにあたり、朝どうやって起きるかについて話し合いをしました。

娘は、ぎりぎりになったらママが起こしてくれると、どこかで甘えている・・・甘えているというよりは、アドラー心理学的な言い方をしてみると、

ぎりぎりになると私が起こしていたことから、「本当の本当のぎりぎりにはママは起こしてくれる」と学んでいるわけですね。

娘に言いました。

みんなの朝ご飯を作ったり、ママ自身の身支度をしながら、あなたを起こしに何度もあなたの部屋に行かなくてはいけなくて、ママは朝の時間がとても忙しいです。

自分で目覚まし時計をかけて起きてもらいたいのだけど、どうかしら?

というわけで、この1カ月半、わたしは一度も娘を起こしませんでした。

今日こそ遅刻をするんじゃないか?と毎朝ドキドキでしたが、一度しっかり遅刻(おかしな表現ですが)をしてくれれば

先生に叱られるなり、朝の放送委員会の仕事に穴を開けるなりの痛い思いをしたら、「ママは起こしてくれない」と学んでくれるかなぁとも思っていたところ

自分で起きてきたけれども、放送委員会の仕事には、どうやら間に合いそうにない時間になってしまったことがありました。

「自分で起きたけど、間に合わないから車で送って行ってもらいたい」という申し出があったので、その日は夫が送って行ってくれましたが

自分で起きたし、自分から助け舟を求めてきたことだから、今回はいいことにしようかな、とわたしもこの件を振り返っていました。

そのうちに、たくさん宿題が出てきたり、部活動が忙しくなったりして、どんどん寝る時間が遅くなっていき、

娘は目覚まし時計の時刻をわざと10分早めたり、時計を布団から少し離れた場所に置いたりする工夫をしていますが、朝は相変わらず眠そうな上、バタバタしていて、とっても大変そうです。

そこで、わたしの方から、夜は音楽を聴いたりテレビをみたり、ゆっくり疲れをとる時間にして、朝早く起きてすっきりした頭で宿題をする、っていう選択肢もあるけど?と提案してみたところ

そのテがあったか!と、早々とお風呂に入って、好きな音楽を聴きながら布団に入り、朝は4時に起きて、ちゃちゃっと宿題を片付けているようです。

「めざましテレビをはじめから見ることができるんだよ!」とテレビ好きの娘にとってはそれも嬉しいことのようです。

その生活が今朝で連続3日目に。

来週はどうなるかわかりませんし、まだまだいろいろ試してみることになるのでしょうけれども、あくまでも親からは「提案」をするのみ。「決定」するのは娘本人。

そして、できていることに「注目」&「勇気づけ」

「早起き生活、調子が良さそうだね」というと「なんかね、早起きのおかげかわからないけど、今日の数学はさえてた!」「そうなんだ!さえてるって、いい感じだねー」というのは、昨日の晩御飯のときの会話です。

帰宅は19時過ぎ。それからご飯を食べて、お風呂に入って、そしてすぐ寝てしまうので、ゆっくり話せる時間はほとんどご飯の時だけ・・・

今こそ、アドラー流の「聴き上手」のコツを発揮!

小学生から中学生へと環境が変わったこともあり、学校のことをたくさん話してくれるようになったのは、聴く側のマインドが変わったからだろうなぁと、思っています。

明日の能代のアドラーゆるカフェでは、第2章の「聴き上手」の実践をみなさんに報告してもらうのが楽しみです。

スピリチュアルタスク

みなさん、こんにちは。 秋田アドラー心理学勉強会・ 勇気づけリーダーの坂本明子です。

3月に行われた「ライフタスク~人生の課題を乗りこえよ~」をテーマにした 勉強会のときのお話なのですが

あれからずっと考えていたことで、 もしかして?と後から感じたことがあったので 紹介したいと思います。

アドラー心理学で考えるライフタスクは

愛のタスク
交友のタスク
仕事のタスク

この3つが基本となり

現代では
セルフタスク
スピリチュアルタスク

この2つを加えることもある、ということですが、この「スピリチュアルタスク」がよくわからないなぁという声がちらほら聞こえていました。

そのときの手元の参考資料から、「精神のタスク」とも呼ばれていることや「なぜ人間は生きているのか、といったような人類、世界、宇宙規模の大きな概念での課題 祈りや宗教。自然崇拝のこと」と引用させていただいた上で、「山に登ったときなど、自然との一体感を感じることもそうかもしれません」

と補足した記憶があるのですが

勉強会後のアンケートでは「特定の宗教をもっていないからよくわかりませんでした」という気持ちを書かれていた方もいらっしゃいました。

このスピリチュアルタスクは、壮大過ぎるテーマだなぁと以前からわたしも感じていたのですが、あれから、ふと感じる瞬間があったんです。

4月になり、雪もすっかり解けて、だんだんあたたかくなってきた頃のこと

家でパソコンに向かってカタカタカタカタと仕事に集中していた時

ふと 窓から差し込む陽射しが柔らかく春めいてきているのを感じて

ああ、まぶしいなぁ、こういう光は久しぶりだなぁと思いながら窓を開けると、

我が家の隣の公園の大きな桜の木にたくさんの小鳥が集まってきていて、可愛い小さなさえずる声が聞こえるではありませんか。

あーーーーー 春だなぁ♪♪♪

よく見ると、桜のつぼみもふくらみかけています。

気持ちのいい青空も広がっています。

寒くて長い秋田の冬、雪国に住むわたしたちが、ようやく春を迎えたときのこのほっとするようなこの気持ちって、もしかして?

わたしたちがコントロールできない自然の移り変わり

その中にいる自分を意識する瞬間

自然は確かに壮大だけど、だからといって、スピリチュアルタスクを大げさにとらえる必要はなかったかもしれないなぁ

それを感じる瞬間は、日々のわたしたちの生活の中にちゃんとあるのかも

と、そんなことを考えました。

冒頭のお写真は、春を告げるカタクリの花。

小さな自然を見つけることや大きな自然に気づくこと

そんな中に生きている自分を意識すること

アドラー心理学が目指す「共同体感覚」にも通じるような気がします。

平成から令和へ

みなさん、こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会・勇気づけリーダーの坂本明子です。

先日は能代市アドラーゆるカフェ第2章でした。

第1章から 3週間近く間があいて、時代は平成から令和へ。前代未聞の10連休というゴールデンウィークをはさんだこの3週間、第1章で学んだことを実践できたでしょうか?と、そんな投げかけをしてみたところ

実家のお父さんと話したときに意識できた!主人と旅行に行ってたくさんぶつかったけど、これはメガネだな(第1章のキーワード)って思った!などなど

学んだことを意識した瞬間がそれぞれにあったようです。いいですね!

まさに「実践の心理学」

しかも、メガネの話を会った人にたくさん話した!という方もいらっしゃって、その方のお知り合いが新たに2名も仲間入り♪アドラー心理学の輪が広がっているようで、とっても嬉しいです!

そして、今日は第2章「聴き上手になること」

たくさんのワークで実践をしながら、「聴き下手」「聴き上手」の両方を体験しときには観察者にもなってもらいました。

世の中では、話し上手になるためのコツや聴き上手になるためのコツ。そんな「やり方」のコツが注目されがちですが、アドラー心理学の講座では、聴くときの心の「あり方」を学びます。

第2章のワークが第1章で学んだこととつながり、「あり方」というものを体験を通して学べたので、聴く方も、話す方も、いい笑顔でした。

「聴くことって楽しい♪」そんな感想をいただけたことをとっても嬉しく思います!

今日の学びが、どんなふうに「勇気づけること」とつながるのか?

いずれすべてがつながることを期待して、今は最終ゴールは「勇気」なのだ、ということをご理解していただき、日々「聴くこと」を意識して過ごしつつ

次回またみなさんの楽しい報告を期待しています。

第3章は「言い方を工夫する」です。