新しいサイトへどうぞ

大雪のニュースも落ち着き、春の足音が遠くから聴こえているような気がしています。

2022年も例年通り、アドラーの学びを楽しく深めていくためにアドラーゆるカフェを開催していきます。

今、私のアドラーの先生であるアドラー東北・高橋直子先生の元、東北勇気づけプロジェクトが始まり、秋田の相談室担当として、勇気づけの輪をますます広げていきたい、たくさんのアドラー仲間と集いたい、そんな気持ちで過ごしています。

地元・能代市を拠点としたアドラーゆるカフェ活動の継続、そしてこの東北勇気づけプロジェクト、今年は北秋田市合川での通年講座もあり、アドラー心理学でますます今ある幸せが感じられる社会に貢献できるように、できる限り取り組んでいきたいと思っています。コロナの収束がなかなか見えませんが、そんな中でも自分にできることを続けていくだけですね。きっとみなさんそうだろうと思います。

こちらの秋田アドラー心理学勉強会のサイトには、2017年から2021年までの主に秋田市と能代市での活動の様子が掲載されています。大事な軌跡はそのままに

2022年からは、あたらしいサイトにて情報発信していますので、ぜひのぞいてみてください。

子どもは体験から学ぶ

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

アジサイが綺麗な梅雨の時期ですね。近所の神社へ散歩に行ってパチリ。このあとポツポツ雨が降ってきました。

中学3年の娘は、これから高校受験を迎えます。夏休み中に行われる「高校体験入学」に向けて、体験入学の希望の学校を提出しなければならないとのこと。

わたしの住んでいる市内の高校は少子化で統合が進み、現在3校しかありません。娘の中では、何となくここにするかなぁという気持ちではいたようですが、先日何かのきっかけで市外のとある高校に行ってみたいと言い出しました。

その高校のサイトを一緒に見てみると、娘の好きな英語に力を入れていて留学生との交流がさかんなことや学校の雰囲気などがとてもよさそうなことを知って、体験入学に是非行ってみたいと。

サイトに載っていた体験入学の案内を見ると、高校の締め切りはあさってで、中学校を通じて申し込んでくださいとあり、「ギリギリ間に合うから、明日朝学校行ったらすぐ先生に言う!」と喜んだのも束の間、中学校からのお便りを見てみると、残念ながら校内締め切りが数日前にもう過ぎていた、という状況。

こんなとき、どう考えて、親はどう動く?

わたしは「この体験から娘は何を学ぶだろうか」というアドラー心理学的な視点を忘れずに、話をするようにしています。

前提として、娘は先生と普段からよく話するタイプではなさそう。何か交渉したりすることはあまり得意ではなく、そういう経験も少ないタイプ。

交渉事は「別にまあいいか」とあきらめたり、「面倒だ」と避けてきたのかもしれません。実はとってもこの気持ちがわかります。私自身、交渉事が苦手なのです。

さらに娘は単純に「こんなイレギュラーなことを先生と話すのは緊張するから嫌」というのもありそうです。

そしてポイントは、この体験入学が後にも先にも一度きりしかない、ということ。

娘は、直接先生に交渉することをせずに、体験入学をあきらめる可能性もあると私には見えました。

でも、もしわたしが先生と交渉をしたら、体験入学には行けるかもしれないが、娘は「交渉する」ことを学ぶ機会を失ってしまう。さらに「挑戦したことのないことや面倒なことは親にやってもらえる」と学んでしまう。

わたしはあなたの進路だから、あなたが先生に直接交渉するべきと思うけど、もし、どうしてもできないというのであれば、わたしが電話をすることもできるからね、と伝えました。

親として、娘にできたことは

・先生にどんな言い方をするかのロールプレイング練習
 
・最終的に決めるのは先生
 事務的な問題があるから無理といわれても
 それは仕方のないことと娘に理解してもらう

・結果はやってみなければわからないけど
 あなたの状況や今の気持ちをしっかり話すことはきっとできるよ!という勇気づけ

でした。

そして次の日、娘はニコニコ笑顔で帰宅。

「わたし、体験入学に行けることになった!」とのことでした。

娘なりに言葉を選んで組み立てて、「ずっと〇〇高校の体験入学に行こうと思っていたのですが、昨日初めて〇〇市の〇〇高校のことを知っていろいろ調べているうちに、行ってみたくなりました。校内締め切りは過ぎているのはわかっていますが、サイトを見たら、明日が締め切りとあったので、もし間に合うなら、行ってみたいのですがだめでしょうか?」という感じで交渉したそうです。普段交渉事が苦手な娘がこんなふうに先生に伝えることはきっと勇気のいることだったと思います。

先生たちの反応を聞いたところ「校内締め切りが過ぎているから、本当はもうだめだけど、あなたは日頃の行いがいいからOKにします」とのことでした(笑)

娘が今回のことで学んだことはたくさんあったと思われますが、この結果からも

・先生たちはいざとなったら協力してくれる
・日頃の行いが自分を助けてくれることがある

ということも学んでくれたかなと思います。

娘に「今日もし言わないで帰ってきたら、明日学校に電話しなくちゃって思ってた」と言うと、「わたし、ママに電話してもらおうなんて、これっぽっちも思ってなかった」とのこと。

そして「なんかねぇ、自分で自分の進路を切り開いているって感じがしてきて、すっごいウキウキしてる♪」と、頼もしいことを言っております。

学校からは三者面談に使う進路調査票が来ましたが、親の希望はあいかわらず「本人にお任せ」と記入して提出します。

子どもが元々もっている力を信じること、日々の生活の中でわたしも練習中です。

娘の「今日学校休みたい」

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

先週の金曜日、中学3年になる娘が朝なかなか起きてこられず声をかけたところ「今日は休みたい」とのことで今学期初めての欠席をしました。

今までであれば「熱がある」とか「具合が悪い」というような明確な体調不良の症状があってから「風邪を引いたみたい」「休んだ方がいいかもね」と欠席を決めるのですが

珍しく体調のことは後出しになり「どうして休みたいの?」「ちょっと頭が痛いから」というので

これは「休みたい」という結論が先にあったのだろうなと思いました。

娘はこれまで、体調不良以外の理由で学校を休んだことはありません。

娘との毎日の会話の中で

・いつも、ものすごく学校に行きたい!と思っていないこと
・数週間前の修学旅行もそれほど楽しみではなかったこと
・だからといって勉強、部活、友だち関係すべてこれといって大きな問題があるわけではないこと

も把握していました。

そうはいっても、学校も修学旅行も行ったら行ったで楽しいところもあるし、3年生になってからは部活や委員会での3年生らしいエピソードも持ち帰っては嬉しそうに教えてくれます。

「行かなくちゃいけないから行っている」「休んだら授業が遅れるし、いろいろ面倒なこともある」娘なりに、学校へ行く・行かないことのメリット・デメリットを天秤にかけて、とりあえず「学校へ行った方が得策」と思っているようでした。

学校へ行く・行かないはアドラー心理学の考え方からすると「子どもの課題」ですので、わたしは娘にその決断を任せています。

休んだ日もわたしは普段通り仕事へ行き、帰って来てからも、「頭はどう?」と体調を尋ねただけで、あとは学校を休んだことについては触れていません。週末の過ごし方もいつも通りです。

そしてこれを書いている今は日曜日の夜。明日は月曜日です。

今、娘は宿題に取り組んでいます。明日の準備をしているようです。

様子を見に行ったところ、遅れた分の数学の授業の内容を取り返そうと教科書を読んだけどよくわからなかったので、youtubeで勉強していました。学習の仕方も自分で何とかしようとしています。これでいいと思っています。

娘は自分の判断で金曜日は欠席した。その結末の責任をとるため、つまり遅れた授業は自分なりに取り戻そうとしている。月曜日は学校へ行くと決めている。このあたりの判断をすべて自分でできるのは、アドラー心理学の目指す「自分のことを信じながら自分自身のことを決められる」ことに近いのでは?と少し安心しているところです。

親として、普段から娘との会話で気をつけていたことは

・話を否定したり、ジャッジしたり、必要以上に褒めたりせず、とにかく聞き役に徹すること
・課題は分離するが、わたしは仲間であるというメッセージを送り続けること
・あなたには解決する力があると信じること

「あー今日も学校行きたくないなぁ」と言われても

「そうなのね。わたしは仕事に行くけど、休みたかったら休んでいいと思うよ」

「今日〇〇ですっごい楽しかった」

「そうなんだ! 詳しく教えて!」(「やっぱり学校行って良かったね」とは言わない)

「数学の問題、思ったより解けてた」

「おー! 頑張ってたからね~ できるようになると嬉しいよね」(結果を褒めない。プロセスに注目していることを伝える)

子どもが「学校に行きたくない。今日休みたい」と言い出したときの反応よりも、毎日の会話のやりとりの中で、子どもとどんな人間関係を構築しているかの方がずっと大事。

アドラー心理学に子育てという特別なジャンルがあるのはなく、あくまでも親と子どもの人間関係なのだということをいつも感じています。

大切な親友に接するように、大事な個として尊重し、対等な関係を築く。

これからも心掛けていきたいと思っています。

大人の役割

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

2020年の新しい活動として、能代市内のフリースクール・フレスクで、不登校の子どもたちと関わるようになって半年が過ぎ

月2回、ボーリング教室やボクササイズ教室、食育教室などの時間を一緒に過ごしながら、子どもたちとコミュニケーションを取ってきました。

(こちらはボクササイズ教室。タオルや毛糸を使ってなんでもエクササイズにしちゃう先生の元でわたしも一緒に挑戦中の一コマ)

この子の好きなことや得意なことって何だろう?とか

この子にとって、ちょうどいい距離感はどのくらいかな?と図りながら接してきたのは

ただただ「目の前にいるその子といい人間関係をつくりたい」という願いから。

以前働いていた学校のように毎日顔を合わせるわけではありませんので、じっくりと時間をかけて少しずつ作っていく関係です。

学校と家庭。多くの子どもたちにとって、大事な居場所。

アドラー心理学の観点から考えて理想的なのは

学校にも家庭にも、自分の居場所があって、自分の役割があること。

不登校の子どもたちにとってのフリースクールも、もちろん同じだとわたしは考えています。

単に学校の代わりに勉強したり遊んだりする場所ではありません。

では、子どもたちが得意なことを発揮しながら居心地がいいなと感じられるように、わたしたち大人は何をすべきか。

それは、きっかけや出番を上手に作ってあげることだと思っています。

これは家庭での親の役割でもあると思いますが、子どもですので、できることは限られますし年齢によってもできることに違いはありますが「わたしも一員として役に立てている」という貢献感や

これができたからOKというような条件をつけずに「わたしはわたしのままで、ここにいていいんだ」という安心感を

子どもがちゃんと感じられるような場を学校でも家庭でも上手に作ってあげることが、そこにいる大人の役割だと思います。

貢献感や安心感・・・これって、大人も同じですね。

職場に「貢献感」や「安心感」を感じることができなかったら、誰だって仕事をやめたくなってしまいます。

「自分のやってる仕事が一体なんのためになるんだろう」「同僚の目が怖い」などと感じ始めたら

毎日辛くて仕事に行きたくなくなってしまいそうです。

「貢献感」「安心感」があって初めて「これに挑戦してみよう」「次もがんばろう」と思えるのです。

それがないのに、やみくもに「がんばれ」と言われることほど辛いことはありません。

そんな状態をアドラー心理学では「勇気が足りていない」といいます。

「勇気」とは、困難を克服する活力。

勇気が足りてないなぁ、という方、もしかたらアドラー心理学があなたのお役にたてるかもしれません。

以下、フレスク『勇気づけカフェ』での様子をご紹介。

先日、ボクササイズが終わった後のティータイム中、たまたまあった予定表の裏に小1女子ちゃんと一緒に描いた小さな落書きに模様をつけたり、眉毛を描き足したりして

最終的にこんなキャラクターができあがったのですが

ゴールに向かって、走っていくたくさんの星虫(☆の形をしていてその子が名前をつけてくれました)さんたち

仲間の星虫さんたちに吹き出しをつけて、「なんて言ってるか想像で書いてみよう」と遊んでいたら

「がんばれ!」「あと少し!」「いけるぞ!」「もうすぐゴールだ」

前向きなメッセージが小1女子ちゃんの口からたくさんでてきました。

同年代の子どもたちと接する機会がどうしても少なくなりがちですので、イラストの吹き出しを利用して、疑似体験・・・というほど大がかりなものではありませんが

仲間を応援する気持ち、自分で自分を励ますような勇気づけのメッセージのように感じたので

「友だちを応援する言葉をたくさん知っているんだね」と伝えたら、嬉しそうににっこり笑ってくれました。

「わたしは友達を応援することができる」という気持ちが、彼女の勇気のコップを少しでも満たしていきますように。

得意なことというのは何も特別な才能である必要はありません。何気なく描いて遊んでいたら出てきた言葉や、一緒にイスを移動させてくれるちょっとした行動に気づいて、それを相手に伝えてみることからはじめてみませんか?

それはきっと勇気づけの第一歩です。

イフゼンプランニングでアドラー実践

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

能代で6月から定期開催していたアドラー心理学実践講座「アドラーゆるカフェ2020」が11月15日に終了しました。

能代でもコロナ感染者が出たことで8月の会は中止になりましたが、終わってみれば全5回、毎回参加者のみなさんと学び合い、深め合い、居心地のいい時間を共有でき、とても充実していたなぁと感じています。

最後の会は「幸せになる勇気」で取り上げられていた有名な三角柱を手作りしてみました。気になる方は読んでみてくださいね。

この日もたくさんのワークをやりましたが、このブログでは「イフゼンプランニング」のワークの様子をご紹介します。

「イフゼンプランニング」は社会心理学の教授が発案した目標達成のための手法のようですが

※ XしたらYする、という決めごとをつくる。つまりIF(Xしたら)THEN(Yする)ということ。簡単な例でいうと、10時になったら、歯を磨く、など

これをアドラー心理学の実践にあてはめて、自分が気になっていることをアドラー流にイフゼンプランニングしてみよう、というものです。

仕事で子どもたちに関わる参加者さんが、決めつけ発言の多い子に対してすぐに否定・反論してしまう自分にブレーキをかける意味で

「決めつける言い方をしていると感じたら『あなたはそう思っているのね』と、まずは一旦受け止めること」

と、書いてくれました。嬉しい~!勇気づけ講座が生きている!

家族に対して、あるいは仕事仲間に対して、みなさんが普段関わっている方々に対して、まさに明日からすぐにでも実践できそうなイフゼンプランニングがたくさん生まれました。

「子どもが勉強していなかったら・・・のあと、なんて書いたらいいかわからなくて・・・」という参加者さんの発言に対しても

子育てを終えた参加者さんは「うちは勉強しなさいとはほとんど言ったことがなかったからなぁ。高校受験の前に『冬が来たねぇ』って暗に言ったくらい(一同爆笑)」

また別の参加者さんからは、自身が長女で受験や学歴について情報が少なすぎたこと、情報をたくさん知っていた妹との比較から、勉強の先に何があるのかを知っていたらわたしはもっと勉強していたと思う」などの意見が出ました。

アドラー心理学では勉強は子どもの課題なので基本的には口出ししないことが大前提ではあるのですが、親と子が将来どんな道に進むのかについて話し合うことで共通の課題にできそうな場面ではありました。

また、勉強を一切しないのかどうか尋ねたところ、教科書を開いていることはある、とのこと。

こちらも勇気づけ講座で学んだ「どこに注目するか」というポイントがヒントになりそうな予感!

勉強してないことにばかり目がいきがちですが、お子さんが教科書を開いているときにこそ声をかけてほしい、と伝えました。

結果、お子さんと将来について話す機会をつくること。そのうえで「子どもが教科書を開いていたら『勉強しているんだね』『〇〇(未来)を目指しているんだったね』と声をかける」というイフゼンプランニングができたのでした。

学んだことを生かせること、実践につなげられること、参加者さん同士が意見を持ち寄って、よりよい考えが生まれること。

お互いの体験から学びあえるって本当に楽しいことです。

ありがたいことに参加していただいたみなさんから「ぜひ来年も参加したい」というお声を頂戴しました。冬の間、少しお休みをいただいて、2021年の開催に向けて準備していきたいと思います。

さて、冬を告げる白鳥をパチリ

群れをなして泳ぐもの、小競り合い、仲直り、ポツンと一人を楽しむもの・・・

じっと見ていると、優雅なだけではない白鳥の個性が見えてきてなかなかに興味深く、この場を離れられませんでした。

わたしの人生の課題は?

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

めっきり秋、ですね。

先日遊びに行った先で、偶然イガイガ栗とトカゲのコラボが撮れました♪

さて、コロナの影響でお休みしていたアドラーゆるカフェを2か月ぶりに開催しました。

今回は「ライフタスク」自分の人生の課題は何か?ということについて。

アドラー心理学の本にもたくさん掲載されているのでライフタスクの図を見たことのある方もいるかと思いますが

(・・・手作り度100%がちょっとお恥ずかしい)

以前開催した勉強会でも満足度を点数化してみたことがありました。

今回はアドラーゆるカフェ2020の初めに学んだ「課題の分離」の視点を忘れずに自分の課題は何かを考えるワークに加えて

「タスクの関わりあい」についても着目してもらいました。

タスクは独立しているのでなく、関わりあうもの。

幸せで豊かな人生を送るためには、愛のタスクをないがしろにして、仕事だけやってればいい、というわけにはいかない・・・

趣味のサークルでうまくやっていくためには、そこの交友関係も大事・・・

仕事が忙しすぎて、自分の趣味に費やす時間が全然ないとなると、とてもストレスフル・・・

こんなふうにわたしたちは、いろんなところに所属して、仕事や家庭の時間、また趣味の時間などのバランスを上手に取りながら生きているんですね。

そんなふうにしてライフタスクを見ていったところ「いろんな人に支えてもらっていること、助けてもらっていることがよく見えた」という感想をいただきました。

また「ちょうど50歳になる年齢なので、今は自分との向き合い方が課題」という方もいらっしゃいました。

また最後に「不完全でいる勇気」という言葉を紹介したところ、ちょうど今仏教の本を読んでいて、まさにおんなじことが書いてあった!という嬉しいシンクロも!

自分も不完全。そしてわたしの周りの人もみな不完全。

だからこそ人間は弱いところを補い合って暮らしている。

わたしたちは、協力しあえる。

とはいえ、気づきは人それぞれ。ペアになってお互いに聴きあうことが、今の自分を受け入れられている実感につながるのかもしれません。

今回も、あたたたくて深い学びのあった素敵な時間となりました。

アドラーゆるカフェ2020、残り2回。アドラー心理学の深淵へ一緒にいきましょう!

最後に補足ですが、「愛のタスク」について。

パートナーがいないから、独身だから、子どもがいないから、もう親は亡くなっているから・・・・一切関係なく

実際に存在していてもいなくても、関係性として一番距離の近い親や子ども、LGBT含めた【パートナーシップ】について

「あなたはどんなふうに捉えているのか」「どんな関係が望ましいと思っているのか」「あなたにとって理想の形は」という問いの答えがあなた自身ではないでしょうか。

愛のタスクに限らず、自分ではなかなか出口を見つけられずに悩んでいるとしたら、もしかしたらアドラー心理学がお役に立てるかもしれません。

私自身、いまだに迷って、悩むこともありますが、そんなときはいつもアドラー心理学に立ち戻ります。そうすると、解決するための糸口を自分の中から見つけ出すことができるのです。

本を読むだけでは得られない学びをぜひ一緒に!

人と人の間で

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

わたしの住んでいる能代市でもコロナの初感染者が確認されたことを受けて、8月のアドラー実践講座は急きょ中止とさせていただいておりました。

また、月に2度足を運んで開催していたフリースクール勇気づけキッズカフェも、他のイベント・講座含めすべて9月に延期。

とても残念。。。ではありますが、ここでわたし自身の視点でポジティブ変換!

・次の講座のために、ゆっくり準備する時間ができる

・アウトプットができないなら、今はさらなるインプットの時期

・自分自身を、また自分の講座を振り返るいいチャンス

というわけで、8月15・16日のアドラー講座に受講生としてzoom参加。

秋田から、しかも能代から遠方へ講座を受講しに行くことは、コロナ前であれば、交通費や前泊・後泊などを考えると時間的にも金銭的にもかなりの負担になるものでしたが

自宅で気軽に受講できるようになり、これは数少ないコロナの恩恵の一つかなと思いながら丸々2日間の日程に参加し、この度「アドラー流メンタルトレーナー」資格を取得しました。

資格取得よりも、受講生として学びの中にどっぷり浸かりたかったのです。

講座を開催する側として、一つ講座が終われば次の講座をどうしようか、ということを常に考え続けていたので、自身が受講生側となり、新しい刺激を受けて自分の講座に良いものを取り入れたいということと

単純に自分自身の振り返りをしたいという2点が大きな目的でした。

今、終えてみて感じることは、改めて「人は人と人の間にいることで、自分自身が何者であるのかをよく知ることができる」ということ。

全国から参加した50名ほどの皆さんと、たくさんのワークを通して、話をしあい、聞きあい、深めあった2日間。

自分自身をじっくり振り返ることができました。自分一人では、どうしても主観が強まってしまいますが、別の視点から意見をもらうことで新しく気づかされることがたくさんありました。いや、むしろそれが欲しくて参加したのです。

人と人は違いがあって当たり前、その違いに違和感を感じるのではなく、そこで浮き彫りになった自分らしさに気づけたときに、人は自分をよく知ることができる気がします。

自分の思いや考えを語り、聴いてもらい、意見してもらい、新しい気づきを得て、自分の思いが深まる。整理される。納得する。だからこそ、また自分を信じて前を向ける。

その過程を他の誰かと一緒にすることで、自分も誰かの役に立てていることも実感できる。

わたしの講座でも、そんな気持ちになれるワークを今まで以上にたくさん取り入れていくつもりです。

ありがたいことに、いつかわたしのアドラー講座にzoom参加したいというお声がけもいただきました。今、早速計画中です。

アドラー心理学をつかって、自分を信じて進む人をこれからも応援していきたいと心から思えた2日間でした。

わたしが受講した講座は中島輝先生の「アドラー流メンタルトレーナー養成講座」ですが、他にもたくさんの講座が開催されています。興味のある方はリンク先をご覧ください。

https://www.teru-nakashima.com/

勉強は子どもの課題

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

子どもたちが夏休みに入りましたね。

わたしの中学2年の娘は、夏休みがくるのを心待ちにしていました。初日は早速近くの松林に出掛けて、今夢中になっている野鳥観察を楽しみました。といっても、お目当ての鳥はいなかったのですが、自然の中をてくてく歩くのは気持ちのいいものです。

終業式の日の夜、持ち帰ってきた通信簿を一緒に見ましたが、娘がこの評価をどんなふうに受け止めているかということに注目して、娘の気持ちに共感して話を聴きました。

「先生がちゃんと気づいてくれてたってことが嬉しいんだよね」

「この教科の評価は、悔しいの? どうしてそう思うの?」

「それについては自分でも納得ってことね」

評価の数字に一喜一憂せず。。。と言いたいところですが、数字はパッと見てわかりやすいので、わたしも思わず「お!」とか「あら?」という心の声が漏れてしまった瞬間がありました(苦笑) まだまだ未熟です。

娘の関心に関心をもって話に耳を傾け、どんな思いで勉強や部活や委員会活動をしているのかを知るのは、とても楽しい時間でした。

そんな中、娘から一つ「お願い」がありました。

「次の英検に挑戦したいので、英語の塾に行きたい」

アドラー心理学では勉強するのは子どもの課題であり、そこに親は踏み込まない、というのがあります。

「課題の分離」というものです。

ここだけを切り取ってみれば、単なる放任のような冷たい考え方のように感じるかもしれませんが、アドラー心理学を学んでいる人にとっては、この「課題の分離」がゴールでなく、むしろ「スタート」であることは、お分かりいただけるかと思います。

わたしは普段、娘に「勉強しなさい」とか「宿題終わったの?」など勉強に関することは一切言わない代わりに、親としての考えは中学校入学時から伝えてきました。

(以下はあくまでわたしの考えです。家庭の状況や勉強に対する価値観などで違って当然ですし、正解はありません)

・学校の授業を大事にしてほしいこと
・わからないところがあったら、先生や友だちに質問して解決してほしいこと
・もし、授業に全然ついていけなかったり、逆にもっと学びたいことがあったりしたら、いつでも塾などの方法を取れるから、その時は相談してほしいこと

勉強はあなたの課題だから基本的にはあなたに任せるけれど、もしあなたが必要ならば、いつでも協力しますよ、というメッセージです。

テストの結果が良かったら「頑張っていたから点数に出てきたんだね」「嬉しそうだね」芳しくなかったら「次も応援しているよ」「問題集とか必要があったら言ってね」などなど。

褒めず、叱らず、いつも丸ごとそのまま結果を受け入れて、とにかく、いつも上記のメッセージを発し続けてきました。

中学入学から1年と4か月。見守り続け、メッセージを発し続ける。アドラー心理学を実践するとはなんと気の長い話かと思われるかもしれませんが、これが我が家の実践の現実です。

娘は今のところ英語が比較的得意のようですが、授業だけではハイレベルの英検合格はなかなか難しいことを聞きつけたことと、1学期に学校で行われた英検のレベルチェックテストの結果と、通信簿の自分の英語に対する評定を見て、英検に挑戦してみたい、英検に合格することで最高評価がほしい、と思ったようです。自発的に言い出したことをわたしはとても嬉しく思っています。

英検合格、最高評価、そしてその先は?という話もしてみましたが、今のところは、それが目下の目標。今はそれでいいと思っています。やっていくうちに、新しい目標が娘の中に出てきたときは、また話をしてくれることと思います。これも「子どもの力を信じて待つ」ということ。こちらの待つ力が問われますね。

ちなみに苦手な教科は数学。わからないときは今のところ友達に聞いて解決しているから大丈夫、数学の塾には行きたくないとのことでした。これ以上は踏み込みません。

また塾の曜日や時間帯、送迎、夕ご飯の準備などについては、同居の母と話し合うことになりました。

過度の自己犠牲をすることなく、どこまで協力できるかについて落としどころを決める。

本当に日々、アドラーは実践だなぁと感じています。

一瞬で変われる特別な魔法のような勇気づけの言葉や100%うまくいくという実践法が存在しているわけではなく、アドラー心理学は日々の心がけの基本になる態度や考え方などの在り方の指針であり、そしてそれらは、日々継続して実践し、自分自身が結果を体験することで初めて身につくことばかりです。

「課題の分離」「共同の課題」「他者貢献」「自己犠牲しないこと」「信じて見守る」「共感」・・・本で読むだけ、言葉を覚えただけ、頭で理解しただけでは、残念ながら実践していることにはなりません。わたしも不完全ながら少しずつ前進しているような気分です。

そしてもう一つ付け加えたいのは、「いつからでも遅くない」ということ。子どもとはいえ、そこには「親と子の人間関係」があるだけ。「親子の問題」も「人間関係の問題」なのです。

日曜日の能代のアドラー心理学実践講座では、毎回受講者さんからの嬉しい実践報告があります。

前回、受講者さんが遠くにいる成人した娘さんとのやり取りについて悩んでいたところ、ちょうど「課題の分離」の学びがあり、娘さんの課題に踏み込んでいたのかもしれないと気づいてから、良好なやり取りが再開したという報告がありました。(詳細は書けません、ご了承ください)

次回は、わたしも娘の塾の話を紹介しようと思っています。

コロナ禍の折、いつも通りいかないところはあるでしょうけれど、どうぞみなさま、よい夏をお過ごしください。

嬉しいメール

みなさんこんにちは、秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

ここ数か月、コロナウィルスが完全にわたしたちの住む世の中をすっかり変えてしまったような気持ちになってしまったこともあったかもしれませんね。

緊急事態宣言や自粛・休業要請、新しい生活習慣、リモートワークやテイクアウト・・・。変化は確実にあるのですが、その変化の中に身を置きながらも、どんなふうに過ごすのかは、わたしたちは誰でも自分で選び取ることができるのでした。

悲観主義者は気分によるものであり、楽観主義者は意思によるものである。(これはアドラーさんの言葉ではなくフランスの哲学者アランさんのもののようですが、勇気づけ講座で取り上げました)

わたしは、できる限り娘の好奇心に付き合おう、一緒に楽しもうと決めました。休校中の中学2年の娘が、たまたま近所の野鳥に夢中になっていたので、カメラをもって散歩へ行ったところ、鳥だけでなく可愛いリスにも出会えました。

遠出ができない、人と会ってはいけないと、できないことに注目するのではなく、当たり前にできることに注目するということも学びました。「ないものねだり」でなく、「あること探し」ですね。

わたしにとってのこのコロナ自粛は、2020年の講座をどうするか、じっくり考える時間かもしれないなぁと思っていたところへ、昨年の勇気づけ講座の参加者さんからとっても嬉しいメールが届きました。

【新しい講座はいつですか?確実に人間関係の基盤になっています。学んでいたからこそ乗り越えられたと感じたり、やってないと忘れているなぁと思ったり・・・】(抜粋)

ご参加いただいた方から、このようなメールをいただき、2020年の講座は、「よりよい実践のための講座」とすることにしました。

わたし自身も、このブログで度々紹介している通り、日々の生活の中で陰性感情に支配されそうになったり、思考や考え方のクセ(ライフスタイル)が強く出たりします。

どうしたら解決できるかな、どうしたらもっといいだろう、と考えること、悩むことが少なからずあります。

でも、そんなときこそ、自分の思考や行動の指標となるべきものが「アドラー心理学」です。

アドラー心理学によって乗り越えているのでなく、アドラー心理学を心の拠り所にして、自分の足で乗り越えているという確かな実感があるのです。

これからの世の中は、景気の下落、経済の停滞、子どもたちを取り巻く休校問題など、長期的な視点で判断しなければならないことが山積みです。

どんな状況にあっても前を向けるような力が一人一人にますます必要だと感じています。

頭で学んだだけでなく、よりよい実践につなげるために、アドラーゆるカフェ2020に参加しませんか?

日常生活を振り返ってアドラー理論と照らし合わせたり、自分自身の変化を紹介したり、新しい理論を学んだり、勇気づけ講座の復習をしたり・・・・。

お会いできることを楽しみにしています。

不登校の子どもたち

こんにちは、秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

コロナが至るところに多大なる影響を与えていますね。

わたしは今年度初めて、月2回、能代市のフリースクール「フレスク」にて、不登校の子どもたちと関わる機会をいただきました。

全国的に休校中の今、能代市内の小中学校再開のタイミングで、この活動もスタートということになりますので、今は足踏み状態です。こんなところにも影響が及んでいます。

さて、不登校の子どもたちと関わる・・・20年以上前のことですが、一つ思い出したことがあります。

教員志望で入学した大学の夏休み、不登校の子どもたちを集めた3泊くらいのキャンプに、所属していた心理学研究室の仲間でボランティアに行ったことがありました。

当時わたしは大学入学したての18歳。子どもたちは小学校3年生から中学校3年生までが参加していたと記憶しています。

子どもたちとは年齢が近いこともあって、一緒に遊びながらたくさんの話をして過ごしました。

子どもたちはとっても元気で、それでいて繊細で傷つきやすくて、大学生が最初に触れる子どもたちとしては、充分すぎるほどのたくさんの子どもらしさをぶつけてきてくれたことを覚えています。

たった数日間で子どもたちに何か劇的な変化があったわけではありませんでしたが、わたしの中にはふつふつと何とも言えない不安が湧き上がってきました。

子どもたちは不登校で悩んでいる。少しでも力になりたいという思いから解決策を教えてあげたいけど、その答えがわからない。

こんな自分が関わっていいのかな?一体何が教えられるのだろう?そもそもこんな自分が先生になって大丈夫なんだろうか? 

今思えば、18歳なんてまだまだヒヨッコ。不登校の解決策なんてわかるはずもありませんが、当時のわたしはすっかり悩んでしまいました。

このキャンプが直接的なきっかけになった訳ではありませんが、思うところあって教員採用試験は受けず、それから約20数年、様々な企業やら、外国人の子どもたちの日本語支援など、たくさんの社会人経験をする中でアドラー心理学に出会い、日々アドラー心理学の学びを続け、実践をしようとしているところに、このお話をいただいたのです。

今なら、わたしにできることがあると思っています。

あの当時悩んだ「解決策を教えてあげたいのに、答えがわからない」

上から目線で教えることなんて、しなくてよかったんだ、とアドラー心理学を学んだ今なら、思えます。

子どもたちを勇気づけられるようなアドラー心理学的な関わりをしながら、解決の道筋をいっしょに探していこう、というスタンスでいます。

わたしは20年経って、あの日の子どもたちにもう一度会えるような気持ちでいっぱいなのです。

どうか、子どもたちが学校に行かない・行けない自分を責めることなく、あなたを丸ごと受け入れる場があるということを知ってほしいと思います。

能代公園で野良ネコちゃんをパチリ

黒猫は、西洋の文化が入ってくる前の昔の日本では『病気が治る』とも言われていたようです。

早くコロナが終息することを祈るばかりです。