娘の「今日学校休みたい」

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

先週の金曜日、中学3年になる娘が朝なかなか起きてこられず声をかけたところ「今日は休みたい」とのことで今学期初めての欠席をしました。

今までであれば「熱がある」とか「具合が悪い」というような明確な体調不良の症状があってから「風邪を引いたみたい」「休んだ方がいいかもね」と欠席を決めるのですが

珍しく体調のことは後出しになり「どうして休みたいの?」「ちょっと頭が痛いから」というので

これは「休みたい」という結論が先にあったのだろうなと思いました。

娘はこれまで、体調不良以外の理由で学校を休んだことはありません。

娘との毎日の会話の中で

・いつも、ものすごく学校に行きたい!と思っていないこと
・数週間前の修学旅行もそれほど楽しみではなかったこと
・だからといって勉強、部活、友だち関係すべてこれといって大きな問題があるわけではないこと

も把握していました。

そうはいっても、学校も修学旅行も行ったら行ったで楽しいところもあるし、3年生になってからは部活や委員会での3年生らしいエピソードも持ち帰っては嬉しそうに教えてくれます。

「行かなくちゃいけないから行っている」「休んだら授業が遅れるし、いろいろ面倒なこともある」娘なりに、学校へ行く・行かないことのメリット・デメリットを天秤にかけて、とりあえず「学校へ行った方が得策」と思っているようでした。

学校へ行く・行かないはアドラー心理学の考え方からすると「子どもの課題」ですので、わたしは娘にその決断を任せています。

休んだ日もわたしは普段通り仕事へ行き、帰って来てからも、「頭はどう?」と体調を尋ねただけで、あとは学校を休んだことについては触れていません。週末の過ごし方もいつも通りです。

そしてこれを書いている今は日曜日の夜。明日は月曜日です。

今、娘は宿題に取り組んでいます。明日の準備をしているようです。

様子を見に行ったところ、遅れた分の数学の授業の内容を取り返そうと教科書を読んだけどよくわからなかったので、youtubeで勉強していました。学習の仕方も自分で何とかしようとしています。これでいいと思っています。

娘は自分の判断で金曜日は欠席した。その結末の責任をとるため、つまり遅れた授業は自分なりに取り戻そうとしている。月曜日は学校へ行くと決めている。このあたりの判断をすべて自分でできるのは、アドラー心理学の目指す「自分のことを信じながら自分自身のことを決められる」ことに近いのでは?と少し安心しているところです。

親として、普段から娘との会話で気をつけていたことは

・話を否定したり、ジャッジしたり、必要以上に褒めたりせず、とにかく聞き役に徹すること
・課題は分離するが、わたしは仲間であるというメッセージを送り続けること
・あなたには解決する力があると信じること

「あー今日も学校行きたくないなぁ」と言われても

「そうなのね。わたしは仕事に行くけど、休みたかったら休んでいいと思うよ」

「今日〇〇ですっごい楽しかった」

「そうなんだ! 詳しく教えて!」(「やっぱり学校行って良かったね」とは言わない)

「数学の問題、思ったより解けてた」

「おー! 頑張ってたからね~ できるようになると嬉しいよね」(結果を褒めない。プロセスに注目していることを伝える)

子どもが「学校に行きたくない。今日休みたい」と言い出したときの反応よりも、毎日の会話のやりとりの中で、子どもとどんな人間関係を構築しているかの方がずっと大事。

アドラー心理学に子育てという特別なジャンルがあるのはなく、あくまでも親と子どもの人間関係なのだということをいつも感じています。

大切な親友に接するように、大事な個として尊重し、対等な関係を築く。

これからも心掛けていきたいと思っています。

大人の役割

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

2020年の新しい活動として、能代市内のフリースクール・フレスクで、不登校の子どもたちと関わるようになって半年が過ぎ

月2回、ボーリング教室やボクササイズ教室、食育教室などの時間を一緒に過ごしながら、子どもたちとコミュニケーションを取ってきました。

(こちらはボクササイズ教室。タオルや毛糸を使ってなんでもエクササイズにしちゃう先生の元でわたしも一緒に挑戦中の一コマ)

この子の好きなことや得意なことって何だろう?とか

この子にとって、ちょうどいい距離感はどのくらいかな?と図りながら接してきたのは

ただただ「目の前にいるその子といい人間関係をつくりたい」という願いから。

以前働いていた学校のように毎日顔を合わせるわけではありませんので、じっくりと時間をかけて少しずつ作っていく関係です。

学校と家庭。多くの子どもたちにとって、大事な居場所。

アドラー心理学の観点から考えて理想的なのは

学校にも家庭にも、自分の居場所があって、自分の役割があること。

不登校の子どもたちにとってのフリースクールも、もちろん同じだとわたしは考えています。

単に学校の代わりに勉強したり遊んだりする場所ではありません。

では、子どもたちが得意なことを発揮しながら居心地がいいなと感じられるように、わたしたち大人は何をすべきか。

それは、きっかけや出番を上手に作ってあげることだと思っています。

これは家庭での親の役割でもあると思いますが、子どもですので、できることは限られますし年齢によってもできることに違いはありますが「わたしも一員として役に立てている」という貢献感や

これができたからOKというような条件をつけずに「わたしはわたしのままで、ここにいていいんだ」という安心感を

子どもがちゃんと感じられるような場を学校でも家庭でも上手に作ってあげることが、そこにいる大人の役割だと思います。

貢献感や安心感・・・これって、大人も同じですね。

職場に「貢献感」や「安心感」を感じることができなかったら、誰だって仕事をやめたくなってしまいます。

「自分のやってる仕事が一体なんのためになるんだろう」「同僚の目が怖い」などと感じ始めたら

毎日辛くて仕事に行きたくなくなってしまいそうです。

「貢献感」「安心感」があって初めて「これに挑戦してみよう」「次もがんばろう」と思えるのです。

それがないのに、やみくもに「がんばれ」と言われることほど辛いことはありません。

そんな状態をアドラー心理学では「勇気が足りていない」といいます。

「勇気」とは、困難を克服する活力。

勇気が足りてないなぁ、という方、もしかたらアドラー心理学があなたのお役にたてるかもしれません。

以下、フレスク『勇気づけカフェ』での様子をご紹介。

先日、ボクササイズが終わった後のティータイム中、たまたまあった予定表の裏に小1女子ちゃんと一緒に描いた小さな落書きに模様をつけたり、眉毛を描き足したりして

最終的にこんなキャラクターができあがったのですが

ゴールに向かって、走っていくたくさんの星虫(☆の形をしていてその子が名前をつけてくれました)さんたち

仲間の星虫さんたちに吹き出しをつけて、「なんて言ってるか想像で書いてみよう」と遊んでいたら

「がんばれ!」「あと少し!」「いけるぞ!」「もうすぐゴールだ」

前向きなメッセージが小1女子ちゃんの口からたくさんでてきました。

同年代の子どもたちと接する機会がどうしても少なくなりがちですので、イラストの吹き出しを利用して、疑似体験・・・というほど大がかりなものではありませんが

仲間を応援する気持ち、自分で自分を励ますような勇気づけのメッセージのように感じたので

「友だちを応援する言葉をたくさん知っているんだね」と伝えたら、嬉しそうににっこり笑ってくれました。

「わたしは友達を応援することができる」という気持ちが、彼女の勇気のコップを少しでも満たしていきますように。

得意なことというのは何も特別な才能である必要はありません。何気なく描いて遊んでいたら出てきた言葉や、一緒にイスを移動させてくれるちょっとした行動に気づいて、それを相手に伝えてみることからはじめてみませんか?

それはきっと勇気づけの第一歩です。

イフゼンプランニングでアドラー実践

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

能代で6月から定期開催していたアドラー心理学実践講座「アドラーゆるカフェ2020」が11月15日に終了しました。

能代でもコロナ感染者が出たことで8月の会は中止になりましたが、終わってみれば全5回、毎回参加者のみなさんと学び合い、深め合い、居心地のいい時間を共有でき、とても充実していたなぁと感じています。

最後の会は「幸せになる勇気」で取り上げられていた有名な三角柱を手作りしてみました。気になる方は読んでみてくださいね。

この日もたくさんのワークをやりましたが、このブログでは「イフゼンプランニング」のワークの様子をご紹介します。

「イフゼンプランニング」は社会心理学の教授が発案した目標達成のための手法のようですが

※ XしたらYする、という決めごとをつくる。つまりIF(Xしたら)THEN(Yする)ということ。簡単な例でいうと、10時になったら、歯を磨く、など

これをアドラー心理学の実践にあてはめて、自分が気になっていることをアドラー流にイフゼンプランニングしてみよう、というものです。

仕事で子どもたちに関わる参加者さんが、決めつけ発言の多い子に対してすぐに否定・反論してしまう自分にブレーキをかける意味で

「決めつける言い方をしていると感じたら『あなたはそう思っているのね』と、まずは一旦受け止めること」

と、書いてくれました。嬉しい~!勇気づけ講座が生きている!

家族に対して、あるいは仕事仲間に対して、みなさんが普段関わっている方々に対して、まさに明日からすぐにでも実践できそうなイフゼンプランニングがたくさん生まれました。

「子どもが勉強していなかったら・・・のあと、なんて書いたらいいかわからなくて・・・」という参加者さんの発言に対しても

子育てを終えた参加者さんは「うちは勉強しなさいとはほとんど言ったことがなかったからなぁ。高校受験の前に『冬が来たねぇ』って暗に言ったくらい(一同爆笑)」

また別の参加者さんからは、自身が長女で受験や学歴について情報が少なすぎたこと、情報をたくさん知っていた妹との比較から、勉強の先に何があるのかを知っていたらわたしはもっと勉強していたと思う」などの意見が出ました。

アドラー心理学では勉強は子どもの課題なので基本的には口出ししないことが大前提ではあるのですが、親と子が将来どんな道に進むのかについて話し合うことで共通の課題にできそうな場面ではありました。

また、勉強を一切しないのかどうか尋ねたところ、教科書を開いていることはある、とのこと。

こちらも勇気づけ講座で学んだ「どこに注目するか」というポイントがヒントになりそうな予感!

勉強してないことにばかり目がいきがちですが、お子さんが教科書を開いているときにこそ声をかけてほしい、と伝えました。

結果、お子さんと将来について話す機会をつくること。そのうえで「子どもが教科書を開いていたら『勉強しているんだね』『〇〇(未来)を目指しているんだったね』と声をかける」というイフゼンプランニングができたのでした。

学んだことを生かせること、実践につなげられること、参加者さん同士が意見を持ち寄って、よりよい考えが生まれること。

お互いの体験から学びあえるって本当に楽しいことです。

ありがたいことに参加していただいたみなさんから「ぜひ来年も参加したい」というお声を頂戴しました。冬の間、少しお休みをいただいて、2021年の開催に向けて準備していきたいと思います。

さて、冬を告げる白鳥をパチリ

群れをなして泳ぐもの、小競り合い、仲直り、ポツンと一人を楽しむもの・・・

じっと見ていると、優雅なだけではない白鳥の個性が見えてきてなかなかに興味深く、この場を離れられませんでした。

勉強は子どもの課題

こんにちは。秋田アドラー心理学勉強会の坂本明子です。

子どもたちが夏休みに入りましたね。

わたしの中学2年の娘は、夏休みがくるのを心待ちにしていました。初日は早速近くの松林に出掛けて、今夢中になっている野鳥観察を楽しみました。といっても、お目当ての鳥はいなかったのですが、自然の中をてくてく歩くのは気持ちのいいものです。

終業式の日の夜、持ち帰ってきた通信簿を一緒に見ましたが、娘がこの評価をどんなふうに受け止めているかということに注目して、娘の気持ちに共感して話を聴きました。

「先生がちゃんと気づいてくれてたってことが嬉しいんだよね」

「この教科の評価は、悔しいの? どうしてそう思うの?」

「それについては自分でも納得ってことね」

評価の数字に一喜一憂せず。。。と言いたいところですが、数字はパッと見てわかりやすいので、わたしも思わず「お!」とか「あら?」という心の声が漏れてしまった瞬間がありました(苦笑) まだまだ未熟です。

娘の関心に関心をもって話に耳を傾け、どんな思いで勉強や部活や委員会活動をしているのかを知るのは、とても楽しい時間でした。

そんな中、娘から一つ「お願い」がありました。

「次の英検に挑戦したいので、英語の塾に行きたい」

アドラー心理学では勉強するのは子どもの課題であり、そこに親は踏み込まない、というのがあります。

「課題の分離」というものです。

ここだけを切り取ってみれば、単なる放任のような冷たい考え方のように感じるかもしれませんが、アドラー心理学を学んでいる人にとっては、この「課題の分離」がゴールでなく、むしろ「スタート」であることは、お分かりいただけるかと思います。

わたしは普段、娘に「勉強しなさい」とか「宿題終わったの?」など勉強に関することは一切言わない代わりに、親としての考えは中学校入学時から伝えてきました。

(以下はあくまでわたしの考えです。家庭の状況や勉強に対する価値観などで違って当然ですし、正解はありません)

・学校の授業を大事にしてほしいこと
・わからないところがあったら、先生や友だちに質問して解決してほしいこと
・もし、授業に全然ついていけなかったり、逆にもっと学びたいことがあったりしたら、いつでも塾などの方法を取れるから、その時は相談してほしいこと

勉強はあなたの課題だから基本的にはあなたに任せるけれど、もしあなたが必要ならば、いつでも協力しますよ、というメッセージです。

テストの結果が良かったら「頑張っていたから点数に出てきたんだね」「嬉しそうだね」芳しくなかったら「次も応援しているよ」「問題集とか必要があったら言ってね」などなど。

褒めず、叱らず、いつも丸ごとそのまま結果を受け入れて、とにかく、いつも上記のメッセージを発し続けてきました。

中学入学から1年と4か月。見守り続け、メッセージを発し続ける。アドラー心理学を実践するとはなんと気の長い話かと思われるかもしれませんが、これが我が家の実践の現実です。

娘は今のところ英語が比較的得意のようですが、授業だけではハイレベルの英検合格はなかなか難しいことを聞きつけたことと、1学期に学校で行われた英検のレベルチェックテストの結果と、通信簿の自分の英語に対する評定を見て、英検に挑戦してみたい、英検に合格することで最高評価がほしい、と思ったようです。自発的に言い出したことをわたしはとても嬉しく思っています。

英検合格、最高評価、そしてその先は?という話もしてみましたが、今のところは、それが目下の目標。今はそれでいいと思っています。やっていくうちに、新しい目標が娘の中に出てきたときは、また話をしてくれることと思います。これも「子どもの力を信じて待つ」ということ。こちらの待つ力が問われますね。

ちなみに苦手な教科は数学。わからないときは今のところ友達に聞いて解決しているから大丈夫、数学の塾には行きたくないとのことでした。これ以上は踏み込みません。

また塾の曜日や時間帯、送迎、夕ご飯の準備などについては、同居の母と話し合うことになりました。

過度の自己犠牲をすることなく、どこまで協力できるかについて落としどころを決める。

本当に日々、アドラーは実践だなぁと感じています。

一瞬で変われる特別な魔法のような勇気づけの言葉や100%うまくいくという実践法が存在しているわけではなく、アドラー心理学は日々の心がけの基本になる態度や考え方などの在り方の指針であり、そしてそれらは、日々継続して実践し、自分自身が結果を体験することで初めて身につくことばかりです。

「課題の分離」「共同の課題」「他者貢献」「自己犠牲しないこと」「信じて見守る」「共感」・・・本で読むだけ、言葉を覚えただけ、頭で理解しただけでは、残念ながら実践していることにはなりません。わたしも不完全ながら少しずつ前進しているような気分です。

そしてもう一つ付け加えたいのは、「いつからでも遅くない」ということ。子どもとはいえ、そこには「親と子の人間関係」があるだけ。「親子の問題」も「人間関係の問題」なのです。

日曜日の能代のアドラー心理学実践講座では、毎回受講者さんからの嬉しい実践報告があります。

前回、受講者さんが遠くにいる成人した娘さんとのやり取りについて悩んでいたところ、ちょうど「課題の分離」の学びがあり、娘さんの課題に踏み込んでいたのかもしれないと気づいてから、良好なやり取りが再開したという報告がありました。(詳細は書けません、ご了承ください)

次回は、わたしも娘の塾の話を紹介しようと思っています。

コロナ禍の折、いつも通りいかないところはあるでしょうけれど、どうぞみなさま、よい夏をお過ごしください。